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地域を知って、地域を誇ろう!「石峯寺ラボvol.1 歴史散策編」

石峯寺というお寺が神戸市北区淡河町神影にある。秋の紅葉の中に浮き上がる朱塗りの三重塔で有名なお寺である。こう言っては罰当たりかもしれないが、田んぼが広がるのどかな田舎に似つかわしくないほど立派で、静かで空気の澄んだ境内は心穏やかに思索にふけりたい時には最高の空間だ。起源は1370年ほど前だと言われ、地域住民にとっても、またそこを訪れる誰にとっても貴重な財産なのは間違いない。

ただ、人口減少時代、地域コミュニティの希薄化、お寺業界で言えば仏教離れなど、さまざまなことが近年変わって来ていて、日本のあちこちでご先祖様がこれまで大切にして来た伝統芸能や美しい文化財さえ維持が苦しくなっていたりする。少子高齢化、人口減少、後継者不足、一極集中。それらに悩ませられていない農村地域はないと言っても良いほど、どこの自治体でも聞くキーワードだ。農村にはこれまで受け継がれて来た貴重な文化や伝承、建物などが多く残るが、それを維持して行くためにはこれまで通りその地域住民だけでは資金面や労働力を考えると苦しくなってきている。

神戸市北区淡河町も例外ではなく、そういう流れの中にある。しかし出生数が減っていて、人口は減って行くのは当たり前なので、悲観せず、自治体同士で人の奪い合いをするばかりでなく、いかに豊かに、いかにみんなで協力しあってそういうものの魅力を伝え、残して行けるかを考える必要があるだろう。

2019年に始まった石峯寺ラボとは、石峯寺を中心とした寺院群の風景を皆で守って行くために、さまざまな活動に取り組んで行くための場所だ。11月の第一回目はまずみんなで地域のことを知って行こうということで、残っている資料や文献を元に、学んでいく。地域の魅力をきちんと語るためには、まず地域のことを知っておくことだ。

今は石峯寺の他、2つの寺院が残る。茅葺き屋根の竹林寺、十輪院と、その奥に見える秋の山が美しい。

知って知る魅力

茅葺きの土間で事務局の松岡さんがまとめた話(PDF/2.9MB)をもとにレクチャーが行われた。詳細な講座の内容は割愛するが、石峯寺や淡河町自治会、淡河と吉川の方からお借りした資料を元に、石峯寺とその周辺についての調査内容が報告された。

「一説によれば、石峯寺はかつては70余りの寺院や宿坊が東西2里、南北1里わたって広がっていたとも言われているようです。」

1里は約4kmなので4kmx8kmの四角で計算してみると、いまの神戸市灘区と同程度、東京であれば板橋区と同程度の面積だ。そう考えると相当な影響力があったし、その歴史も相当なものだろうと考えることができるので、想像力をかき立てる。

「ここが神影公会堂ですね」

と古地図を元に案内して下さるのはご住職。今回、報告された古地図は、淡河本町自治会が神戸市立博物館に寄託している資料で、石峯寺絵図、淡河庄絵図、撫石村之内迎山畑一円絵図、石峯寺撫石村文政4年(1821年)裁許絵図の4点、色鮮やかな図に石峯寺を中心に栄えた地域の力を感じることができる。

1879年に石峯寺村と撫石村が合併して美嚢郡神影村となり、後に美嚢郡上淡河村神影、美嚢郡淡河村神影に。神戸市になったのは1958年で、神戸市兵庫区淡河町神影、神戸市北区淡河町神影と経てきたらしい。

建物を維持したいが十輪院の役員は0人で、厳しい状況となっているが、お茶、花、などに使っていただいたり、今後のお寺の新しい方向を考えつつ、「みんなの寄りしろになってくれれば」とお話しいただけるのがとてもありがたい。

新しい関わり方で、田舎にある貴重な財産を楽しみ、支える。

「この地域には大きな歴史があるが、そういうものを捨ててしまおうとする人が多い。昔の資料や記録をまとめたり、この貴重な建物などを次の世代に渡して行くために、この場所を気に入った人に、ひとりひとりできることをしてもらいたい。」

と歴史講座は締めくくられた。古い消え行く大切な財産を田舎だけで維持しようとするのでなく、住んでる場所や利権等関係なく、新しい関わり方で、田舎の風景に癒されるみんなが少しずつその風景を支えていければそれは素敵なことだ。

歩いて知る魅力

かつてあった建物など、知識を得たら後半はいよいよ現地へ向かう。落ちかけの紅葉と三重塔はまだ美しいなと思いながら、石峯寺の裏にそびえる山中を歩いて史跡などを巡る。寺の平地から登り坂に入ると少し暗くなる。いきなりの急な山道を、少し息を上げながら歩く。「さくさくさく」とほとんど落ちきった落葉樹の落ち葉で滑らないよう、足下に注意をして。

「ここは敵が来られない地形になってるんですよ。」

そう言ってひとつひとつの史跡を案内して下さるのは石峯寺の裏山を北の方に越えた三木市吉川町水上(みずかみ)というところにお住まいで、竹林寺の檀家の衣笠さん。かつては美嚢(みのう)郡、あるいは播州(ばんしゅう)と摂津(せっつ)の間の播州側東端にある地域として淡河町と吉川町が同じ文化圏にあった。行政区が神戸市と三木市に分けられ、寺の活動も少なくなり、近年往来が少なくなったが、檀家かそうでないかは関係なしに、こうやってイベントを通じてまた繋がれるのはとても嬉しいことだ。

衣笠さんはこの山のあちこちにある歩きにくいところに階段をつけたり、盛土をしたり、ロープや看板をつけて迷わないように人知れず整備している。山を歩く人が減り、荒れてなくなりつつある道をきちんとつないでくれる人がいたのだ。

「ひとりで、スコップや杭を持って山の中に入って、毎日何をしよるんか思いますよ。」

とあきれた口調で話す奥様の顔はどこか誇らしかった。そういう実践活動とともに、地域への愛が言葉の端々から伝わってくる。「うちの山もあったからやってるだけですよ」と話す衣笠さんは、ただただかっこいい。

衣笠さんお手製の道標。

そうこうしているうちに、打越山の山頂に抜け出た。

山頂付近には衣笠さんお手製の標高を記した杭があり、吉川や大沢側の風景を望むことができる

山頂には南北朝時代(1336年-1392年)のものという言い伝えがある石峯寺城の跡がある。

南北朝時代には、淡河の南側にある丹生山が、戦いの舞台となり、周囲に複数の城があった。城といっても石垣などはなく、小さな土の城だったことが特徴で、お互いが監視するための場所だったと推測される。石峯寺城は、聖岡城とも言われていたようで、かつての土塁や堀切の跡を現地で確認することができた。

ところどころ石が転がっている。

山頂から少し下ると堀切と言って、外敵の侵入を難しくするための堀の跡もあった。何も知らずに歩いていると山道がぐねぐねしているだけだと思って通り過ぎるところだが、説明を受け、よく考えると自然にはできにくいだろう形だし、石もたくさんある気がする。

もう少し下ると、開けたところに出た。山の傾斜に沿って棚田が広がっており、民家も見える。遠くには大沢町や吉川町の山々が一望できる。川西の方や加東市の播州清水寺も見えるそうで、各自思い思いに風景をしばらく眺めていた。参加者の数名はこの辺りに住んでいるとのことだが、この風景は自慢の風景に違いない。

再び山の中に入って行くと奥の院があった。奥の院とは寺院で、本殿より奥にあって秘仏などを安置してある最も神聖な場所とされているらしい。

瓦のマークは石峯寺のものと同じだ。

ご住職にお経を読み上げていただき、貝吹山経由で下山した。

衣笠さんが作成してくれたお手製の地図。赤色の点線が今回歩いたコースだ。

魅力を知って、人と繋がって、地域を誇る。

今回は歴史講座ということで、地域の知らない歴史を知ることができたのは当然有意義だったのだが、同時に、地域に住む人びとの郷土愛や繋がりに触れられた一日となった。こうやって歩けば知らないことを知るし、同じ目的で来たみんなでやれば人と繋がる。人と話せばまた知らない側面にも気付く。そうやって誇れる地域の側面を知り、愛着が生まれる。

「生まれも育ちもここだけど、知らないことばかり。新しいことを知ることができた」

と神影出身の岡崎さんは自分の故郷をより誇らしげに思ったようだ。