石峯寺ラボ 山城跡を歩く
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- 実施日時 11月28日土曜日 10時から14時半頃
- 参加者 25名(淡河2名、吉川14名、一般9名)会員5名、ゲスト1名 計31名で、淡河神影歴史講座 山城後を歩くを実施しました。参加者は比較的高齢の方も多く、隣接の三木市吉川からも多くの方が参加されました。講座のみのかたは7名、山歩きをされた方は23名でした。
- 実施内容:淡河神影の石峯寺北側、三木市吉川と神戸市の境界があります。昨年度、龍が峰・貝吹山・打越山、聖岡城(山城)の跡を歩きました。昨年度の開催前後に、播磨の中世山城を現地で調査をされている木内さんという方がおられることを知り、今年は、お話を聞いてみようということで、講演と現地歩き(赤字ルート)をお願いしました。
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実は、既に現地調査をされているということで、色々な話を伺うことができました。淡河町は北区の中で、唯一、旧美嚢郡に属しており、淡河が播磨と摂津の境界にあたります。南北朝時代に、丹生山、現在の丹生神社周辺に明要寺・丹生山寺があり、ここが南北朝相互の最前線となったそうです。大きな城、お寺があり、周辺地域、三津田(三木市)、淡河、萩原などと並んで石峯寺北側には聖岡城があったようです。昨年、地域の方から伺った話では、打越山がお城の跡地ということでしたが、木内さんは、龍ケ峰が聖岡城、打越山は砦という形で整理されていました。
南北朝時代の終焉と共に、山城の機能は失われ、周囲の農村に溶け込んでいきます。その後の土地利用の変化により、潅漑用の溝も多く設置されており、それが土塁とみなされているという事も多いとの事でした。土橋の存在や、土塁と見なされているものの高さなどで、判断をするそうです。また、お寺の伽藍の配置と城の中の本丸その他の施設の配置の類似性などのお話をいただきました。実際に現地測量の結果を踏まえておられるだけに、「諸説あります」という部分はあると思いますが新鮮な話でした。
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